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有田町は佐賀県西部に位置し有田焼の産地として知られる。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮陶工たちを日本に連れて帰り、その一人李参平が泉山磁石場を発見した事から、陶磁器の一大産地となった。外部の者の技術と美意識が発展させた町である。

佐賀県の海岸沿いには神功皇后伝説の色濃い土器崎神社、日本最古の水稲耕作遺跡といわれる菜畑遺跡などがあり、古代海民との強い繋がりが窺える。有田は山に囲まれた谷合の町であるが、伊万里湾と大きく長い有田川で繋がっている。この地にも海民の痕跡があるのではないか。

しかし驚くのは縄文遺跡の多さである。はるか昔、旧石器時代から多くの人々がこの地で生活をしていたようだ。海民と名指すには無理があるものの、この時代の人々もどこかから移動してきた者には変わりないだろう。そして弥生時代になると姿を消している。町の神社には水神や恵比寿像が祀られていた。隣の武雄市には神功皇后や徐福伝説が残っている。しかしこの地は文政11年「皿山大火事」で一度焼失しており、それ以前の史料はほとんど残っていない。

有田町と武雄市にまたがる黒髪山には、山に住む盗賊がモチーフであると思しき大蛇伝説が残っている。彼らはおそらく昔からこの土地に暮らしていた民だと思われるが、ここでは彼らの方が外部とみなされている。この地での外部の者とは、一体誰なのだろうか。

現在有田には多くの焼き物ミュージアムがあり、町全体が観光地化されている。県が取り組むプロジェクトでは「テーマパーク有田」「ARITA」の文字が並ぶ。豊かな自然と陶磁器に彩られた街並みで、時間の手触りのようなものがなかなか掴めない中で、経年劣化の影響を受けにくい陶磁器の鮮やかな青が、さらに私たちの時間感覚を撹乱する。

女木島・福岡漂着の前日談である今回の漂着は緊急事態宣言下で行われた。少人数の完全予約制で「密会」という形での漂着であった。


佐賀・有田漂着レポート

じょいとも


「レビューとレポート」第26号

“まれびと”との遭遇

西九州と家船


梅木誠太郎